世の中には具体案が多すぎるしノウハウ本が多すぎる。
小手先になってしまう。小手先になれてしまうと、思考停止人間になってしまう。
具体的な情報に触れることで色んなことが楽しくなくなってしまう。
「思考」がやらなきゃになるからだ。
今の自分はそうかもしれない。そんな状況を抜けたい人って多くいるはずだし、どうすれば抜けれるのか考えてみた。
楽しんでるやつは視点が高い。
「視座が高い」「視点が高い」人になりたいってよく聞くし、僕もなりたい
だけど、そういう多くの人は「なれない」かもしれない。
なぜなら、手法の話になっていてコモディティかしているためだ。
現代って面白いぐらいに情報があってググればなんでも出てくる、だから他の人と同じになってしまう可能性が十分すぎるぐらいにあると思っている。
デザイン会社で働いて思ったこと
僕は今、デザイン会社で働いている。この会社が少し特殊でほとんどが芸大出身なのだ。その職場に「視座が高いな」と感じる人がいる。
その子はAR、VRが好き多分デザインが好き、動画とか写真とかが好きな子です。その子の特徴は、デザインを楽しんでるということだった。
この子をみていると、このデザインって最近流行りだから、マーケティングに取り入れてみたら流行るんじゃないの?と常に実験的な思考(M本が話題のため)を持ち合わせている。
その実験的な思考、あれをすればどうなるのか、これをすればこうなるんじゃないかという説明しようとすると「あれ」「これ」「こう」と言った指示語でしか説明できない何かの正体が「抽象的」「感覚的」な思考なんだと思っている。
そして、これこそが視座が高いという正体なんだと思う。
具体的にどうしよう
肩の力を抜いて考えるこれに尽きると感じた。
方法論だけ、教えられる僕らは、4P分析とかSWOT分析とか堅いことから何かを始めることが多い。
そんなことはやめて、自分が飲食店のオーナーなら「こう集客するわー」とか「なんでこの集客してるん?」っていう単純な疑問から始めればいいと思う。
それが、徐々になぜ、その集客方法をとっているのか、なんでその集客方法がいいのか説明できるようになればいいと思う。
最後に思ったこと
「視座が高い」とか「優秀だ」っていう概念はそもそもなくて
自分が興味を持てることっておかしいけど、不意に考えていることに思考を使えばいいと思った。
その転用ができる人が「視座が高い」「優秀」って言われているだけだと思う。
ナンパが好きなら好きで極めてみたらいいと思う。
それを仕事に転用すればいいだけだから。
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